弱いのに運負けツイートとか語りツイートとかどうでもいいようなキモいツイートを一生してる奴らが心底キモかったけど改めて考えると根本的に熱の差があるんだと感じた。

自分はずっと強くなることだけを目的としててポケモン対戦を愛してるから雷撃の決勝で怯み運ゲで盛り上がってるのにムカついたし試合の2%も理解してないような4桁達がうわっきー凄いって言ってるのにもムカついた、こいつらが想像もできないくらいうわっきーは凄いから。

脱線したけど、何が言いたいかっていうと例えばうわっきーの試合を見た時に「うわっきーの試合見てモチベ上がった、ポケモン頑張るぞ!」って人がいても、「うわっきーの試合見て自分もこれくらい強くなりたい、うわっきーを超えたい、超えるために出来ることを全部して努力し尽くす!」まで行く人はほとんどいなくて、大半の人は前者で少し誇張して極端な表現をするとそこまでポケモンが強くなりたいわけじゃないエンジョイ勢だと思っていて、Twitterにいる人もポケモン実況動画や配信を見てる人もほとんどが雰囲気で楽しんだりなんとなく勝てたらいいな~程度の前者の人間としたときに後者の自分は少数派で、今までは例えば運負けツイートを見た時に100点の構築立ち回りができてないくせに云々感じていたけれど前提として彼らはそもそもポケモンを雰囲気でやってるだけの強くなりたいわけではない人達であることを踏まえたら、自分の感じていることそのものが的外れなことなんだと思った。

 

だからこそ強い人がすきで、強くなるために取り組んでる人がすきで、熱のある人間に惹かれる。